東京都大田区池上7丁目2番10号
03-3752-8367
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相対式ホーム2面2線の地上駅。五反田方面へ乗車するときには、構内の踏切を渡らなければならない。池上線・多摩川線の各駅では近年のワンマン運転化にともなって安全性の向上を図るため駅構内にある踏切を廃止し、多くは上下線別の改札口を整備した。池上駅は改札口を新設する用地がないため、構内に踏切を残した経緯がある。現在では東急線唯一の旅客用構内踏切である。改札を入ってすぐ左側は柵で構内と外が仕切られており、普段は数台の自販機が置かれているが、毎年10月11~13日に行われる池上本門寺お会式の際には自販機が移動され臨時改札(有人)が設けられる。臨時改札ではパスネットは使用できない。
のりば
1 ■池上線 蒲田方面 2 ■池上線 雪が谷大塚・旗の台・五反田方面
利用状況
バス路線10月12日夕刻からは池上本門寺お会式のため大規模交通規制が行われ駅周辺も車両通行禁止となる。通常は駅構内に進入する路線バスも規制境界近くのバス停で折返し運行となる。 全路線東急バスが運行する。
歴史
隣の駅東京急行電鉄■池上線千鳥町駅-池上駅-蓮沼駅]関連項目
外部リンク
駅周辺
久が原(くがはら)は、東京都大田区にある地名。現在の住居表示では、一丁目から六丁目まである。当地域の人口は、21,804人(2007年2月1日現在、住民基本台帳による。大田区調べ)。
概要大田区の西部に位置する。地域北部は品鶴線(横須賀線)の線路に接し、これを境に北嶺町・南雪谷にそれぞれ接する。東部は呑川に接し、これを境に仲池上に接する。南東部は、第二京浜に接し、池上に接する。南部は千鳥に接する。西部は、南久が原・東嶺町に接する。(地名はいずれも大田区)地域内は呑川沿い付近にいくつかの工場が見られるほかは、多くは閑静な住宅地となっている。わずかに耕地も見られる。東急池上線・久が原駅の所在地はわずかに当地域外で隣の南久が原になるが、駅からは当地域にかけて商店街が続く。(ライラック通り久が原)>ライラック通りの五差路にあるビストロ・キャトルというイタリアンレストランは地元では有名である。向かいにあるモンレーブ・キャトルというパン屋とともに、いつも盛況である。この五差路を駅と反対方向に更に2分ほど歩くとケーキ屋フラマリオンがある。<当地域に鉄道駅はないが、東急池上線・久が原駅と南部では、隣の千鳥町駅が利用可能な範囲にある。地域東部の久が原バス通りや第二京浜を走るバス路線利用者もいる。
主な施設
外部リンク
区名の由来 昭和22年(1947年)3月15日に、当時の「大森区」と「蒲田区」が一緒になって誕生したのが大田区です。その際、両方の一字ずつを取って命名されました。 大田区の前身である大森・蒲田の両区は、ともに昭和7年10月に、当時の東京市へ隣接する郡町村が編入された際に設置されました。 馬込、東調布、池上、入新井、大森の5つの町が大森区に、矢口、蒲田、六郷、羽田の4つの町が蒲田区になりました。 大田区は、平成19年3月15日に満60周年を迎え、これからも皆さんの「ふるさと大田」として大きく発展・成長していきます。 大田区の面積 59.46平方キロメートル(23区内第1位) 大田区の位置 東京都の東南部にあり、東は東京湾に面し、北は品川・目黒区に、北西は世田谷区に、さらに西と南は多摩川をはさんで神奈川県川崎市とそれぞれ隣接しています。 大田区役所本庁舎(大田区蒲田五丁目13番14号)の位置 北緯 35度34分33秒 東経 139度43分25秒 大田区の地勢 西北部の丘陵地帯と東南部の低地に2分され、丘陵地帯はいわゆる武蔵野台地の東南端にあたります。低地部は、海岸や多摩川の自然隆起と堆積によってできた沖積地と、それに続く埋め立て地からなっています。 海抜は、田園調布付近が最高で42.5メートル、南東に向かって次第に低くなり、低地部の高いところで約5メートル、海岸線や埋め立て地では約1メートルです。 大田区の歴史、沿革 海と川に臨み、武蔵野台地の先端に位置していることから、昔から人が住みやすく、交通の要路でもあったため、区内には大森貝塚、多摩川台古墳群、池上本門寺五重塔など多くの史跡が点在しています。また、水止舞や禰宜(ねぎ)の舞などの伝統芸能も数多く残されています。 江戸期は農漁村で、特に海岸の大森・糀谷・羽田地区では海苔(のり)の養殖(昭和38年まで存続)が盛んに行われました。また、東海道の街道筋にあたっていたため、人馬の往来でにぎわいました。大正期以降、中小工場が進出し、低地部は住宅や工場が密集する商業・工業地域を形成し、京浜工業地帯の一部となっています。台地部は、関東大震災後住宅化が進み、田園調布、雪谷、久が原など比較的緑の多い住宅地です。臨海部は埋め立て地からなっており、空港をはじめトラックターミナルやコンテナふ頭、市場など物流施設のほか、工場団地、野鳥公園など都市機能施設が整備されています。
長栄山本門寺こと池上本門寺は、日蓮宗の大本山。鎌倉時代に日蓮宗を大成した日蓮上人が、武蔵国池上にある鎌倉幕府の御家人、池上宗仲の館(やかた)で亡くなった後、池上宗仲が7万坪の敷地を寄贈したことに始まります。 太平洋戦争による空襲で多くの建物を焼失しましたが、それでも江戸時代から残る建造物や文化財が多くあり、また静寂な雰囲気に包まれた寺は23区内でも有数の、都会の喧騒から離れたオアシスといえるでしょう。 上写真の五重塔は1607(慶長12)年築で国重要文化財。桃山期の特徴を残す五重塔としては現存で唯一。初層のみを和様とし、二層以上を唐様としているのが特徴です。 また、松涛園(しょうとうえん)は小堀遠州の作庭による日本庭園で、大名庭園にも大きな影響を与えました。ちなみに、西郷隆盛と勝海舟が江戸城明渡しの会見をした場所でもあります。
全国各地で日蓮聖人がお亡くなりになられた10月13日を中心にお会式(おえしき)が営まれていますが、御入滅の霊跡である池上本門寺のお会式がもっとも盛大に行われています。
12日午前10時から宗祖御更衣法要が営まれ、聖人の御衣を夏物から冬物の御衣にあらためます。午後2時からの宗祖報恩御逮夜法要には全国から集まった大勢の参詣者や団参で大堂が埋め尽くされます。 また午後7時頃より、池上徳持会舘から本門寺までの約2キロにわたって百数十講中、総勢約三千人もの万灯練り行列が池上の町を練り歩き、深夜にいたるまで賑やかな一日となります。
13日午前8時、臨滅度時法要では聖人入滅時に六老僧日昭聖人が打たれた臨滅度時の鐘にならい山主の手により静かにそして重く鐘が打ち鳴らされます。
大田区は都心へのアクセスも良好。
そのうえ、羽田国際空港は空の玄関とし大田区の発展の歴史には欠かせない存在。